まいすぴんらいふ

これは僕が生きてきた証である。

客を舞台に引っ張り込む

芝居ってどれだけその世界観に自分が入れるかとか、役になりきれるかとか言うけど。

俺は俺だし。100%その役になりきることはできない。

 

できるって言う人がいたらはっ!絶対嘘だね!!って思ってしまうし、できてると思い込んでるその人を少し残念な見方をしてしまう。

 

なりきるなりきらないじゃなくて、その役を理解し、そこに至るまでにどのような経験をしてきたのか。何を感じてるのだろうか。その人のバックボーンを感じて、そこからその人がどういう考え方をする人なのかを考える。

全部自分が。自分という人間が台本だけを読んだ上でその人のイメージを勝手につけているだけ。

その人になりきるというより、その人の考え方はどうなんだろうかと客観的に考えて、演じる。そうしていくうちにその人の仕草が勝手に芽生えたり、喋り方に変化が出てきたらしたらそれはいい事だとおもう。

 

いやいや、こういう事を言いたいんじゃなかった。

 

舞台に立つ時に自分の世界の中で芝居をするのか、見られている、見せている意識の中で芝居をするのかは違うのかってことだ。

 

その世界観にお客さんがついてこい。

俺たちは今この世界で生きてんだ!!

 

ってゆうのは勿論あり。

しかし、感情やら、表情ってゆうのはリアルな世界ではとても近いところで相手の顔を見れるが舞台なら客席からめちゃくちゃ遠いところに役者の顔があることだってある。

 

そんな時に少し俯いて唇を噛むことで悔しさを演出しようとしても見えない。

客はわからない。

 

どう見せるか。

お客さんに演技っぽいなーっと思われず、しかも感情を汲み取ってもらう方法。

 

客目線の芝居。

悔しさの表情の顔がパッと出たならその時意識して客席に見えるようにする。

ただ向けるだけじゃなく、少し間を置いてやったりする。

 

不自然じゃない程度に。しかしわかるように。

 

これを意識できてやれるのかやれないのかを考えればやれるほうがいいに決まってる。

 

芝居中ってのはただその世界を本気で生きていればいいってもんじゃない。

時に冷静に、お客を楽しませるための方法を考えながら演じていければと思う。

 

できることは多いに越した事はない。