まいすぴんらいふ

これは僕が生きてきた証である。

恥ずかしがれる場所

恥ずかしがれる場所

それが稽古場

 

多くの人は人前で台本を読んだりするとき

上手いこと読もうとしたり、

キャラを作って読んだりする。

 

これは違う。

 

その台本の文章の意味。理解。次のセリフがある役へのキャッチボール。

一つの文章にたくさんの意味が詰まってたりする。

それに気づくためにしっかりと頭で考えながら読まなければいけない。

ただただ、怒声を張るキャラだからという理由だけで、ずっと大きな声を張り上げてるだけじゃ聞いててもほんとつまらない。

 

同じテンションの連続は聞いてる方に何も伝わってこない。ただ言葉が飛んで来るだけだ。

 

聞いてて眠たくなる。

 

◯眠たくならないためにはどうしたらいいか?

これは常々考えなければいけない。

面白いところを探したり。

情景描写を意識して読んで見たり。

自分に語りかけるように読んでみたり。

内側に発するのか、外側に発するのか。

 

次のセリフの人のテンションを上げたいのか、下げたいのか。

会話も同じでいきなり大きな声になることはない。

なにか前の人のきっかけがあったり自分の中でのきっかけがあったりする。

そのきっかけを与えるのは自分なのかとか考えたり。

 

 

芝居の奥は深い。

ただ淡々と噛まずに上手に読むのも素晴らしいことだが、役者としてやっていきたいのならそこじゃない気がする。

もっともっと自分の中で増幅させて言葉遊びをしながら稽古をこれからしていこう。

客を舞台に引っ張り込む

芝居ってどれだけその世界観に自分が入れるかとか、役になりきれるかとか言うけど。

俺は俺だし。100%その役になりきることはできない。

 

できるって言う人がいたらはっ!絶対嘘だね!!って思ってしまうし、できてると思い込んでるその人を少し残念な見方をしてしまう。

 

なりきるなりきらないじゃなくて、その役を理解し、そこに至るまでにどのような経験をしてきたのか。何を感じてるのだろうか。その人のバックボーンを感じて、そこからその人がどういう考え方をする人なのかを考える。

全部自分が。自分という人間が台本だけを読んだ上でその人のイメージを勝手につけているだけ。

その人になりきるというより、その人の考え方はどうなんだろうかと客観的に考えて、演じる。そうしていくうちにその人の仕草が勝手に芽生えたり、喋り方に変化が出てきたらしたらそれはいい事だとおもう。

 

いやいや、こういう事を言いたいんじゃなかった。

 

舞台に立つ時に自分の世界の中で芝居をするのか、見られている、見せている意識の中で芝居をするのかは違うのかってことだ。

 

その世界観にお客さんがついてこい。

俺たちは今この世界で生きてんだ!!

 

ってゆうのは勿論あり。

しかし、感情やら、表情ってゆうのはリアルな世界ではとても近いところで相手の顔を見れるが舞台なら客席からめちゃくちゃ遠いところに役者の顔があることだってある。

 

そんな時に少し俯いて唇を噛むことで悔しさを演出しようとしても見えない。

客はわからない。

 

どう見せるか。

お客さんに演技っぽいなーっと思われず、しかも感情を汲み取ってもらう方法。

 

客目線の芝居。

悔しさの表情の顔がパッと出たならその時意識して客席に見えるようにする。

ただ向けるだけじゃなく、少し間を置いてやったりする。

 

不自然じゃない程度に。しかしわかるように。

 

これを意識できてやれるのかやれないのかを考えればやれるほうがいいに決まってる。

 

芝居中ってのはただその世界を本気で生きていればいいってもんじゃない。

時に冷静に、お客を楽しませるための方法を考えながら演じていければと思う。

 

できることは多いに越した事はない。

 

ダメなやつのダメなとこ真似してもダメになるに決まってんだから。

演劇会といっちゃあれだけどさ。

この世界には売れてない(売れてる、売れてないを線引きするのが役者一本で生活できることとする)役者がごまんといるわけ。

 

周りを見渡しても、どこぞの関西で名の知れた劇団に所属してたってバイトで生計を立ててる人はものすごい多い。

 

もちろん、演劇の先輩であったり、演技に関して尊敬するところは多い。

 

でも、そうなりたいかと言われたらなりたくない。

だって食えてないもん。

今の俺と同じだもん。

10年、20年役者を続けたとしてその状況ならやばい。やばいとしか言いようがない。他になにか収入源があるなら別だけど、ないならオワコン。

 

こんなこと言っちゃなんだけど、そういう人たちはめちゃくちゃいい見本だと思う。

だって、その人たちがしてきていることを真似すればさ、そうなれるわけだもん。

 

逆を言えば、その人たちがしてることをやらなければ役者で食っていけるという未来へ光が見えるんじゃないかってこと。

 

真似をするな。

やっていることをやるな。

演劇界での今の普通は絶対に疑った方がいい。

 

例えば、チケットを売るのに劇団に所属していればノルマってのがある。

だいたい、一人当たり30〜50が普通だと思う。

50呼べたらすげーー!!って言われることだってある。

50も呼べたと考えるのか、50しか呼べなかったと考えるのか。ここで大きな差が出るんじゃないかな。

俺は50しか呼べねーのかって思っちゃう。

10年役者をして50。

もうダメだよな。絶対やり方変えた方がいいよな。

 

舞台ってゆうのは大体チケット代が3500円程度。

300人入る劇場で舞台をするとして、5日公演の1日二本で10回公演だったとする。

3500×300=1050000

105000×10=105000000

1050万円の収入がある。

劇団員が10人いたとして÷10で105万円

そっから、劇場を借りるお金。

照明さん、音響さんを雇うお金。

舞台美術を作るお金。

それを劇場まで運ぶお金。

その他にも諸々、チラシを作るお金などがかかる。

それだけ3000人動員しても一回の公演での収入なんておそらく一人当たり20万円でもいったらいい方なんじゃないかな。

 

公演ってのは大体年に多くて3回とか。

60万。

1年12ヶ月で割ると、5万円。

月5万円。

3000人動員してだよ?

 

一人当たり50人呼べた!!で喜べますか。

大事なのはそこじゃねぇだろ。

全然足りない。

3000人も呼べない。その数では。

ノルマなんてものは達成するのは当たり前。

死ぬ気でお客さんにファンになってもらわなきゃいけない。呼ばなくてもきてくれる3000人をとりあえず作らなければいけない。

 

えーっと、こういう話じゃないんだ。

お金の話だけど、ノルマの話をしたいわけじゃない。

そうやって考えてる人の真似をしちゃいけないってこと。

 

チケットを売るにも、知り合いに声をかけるのはもちろん。だけどそれだけじゃダメだって思う。

自分の知り合いなんて多くても300人とか。

ほぼほぼ話したこともない人も入れてね?

その人たちが全員見に来てくれるはずがない。

来てくれたとしても、毎回来てくれるはずがない。

 

だから、アプローチする場所はもっと違うところにも焦点を合わせなければならないんじゃないかって考える。

 

今は具体的にどうすればいいかとかわからない。

でも、そこだけじゃダメだってことはわかってる。

 

ありとあらゆる思いつきを実行していかなければ食っていけない。そんな甘い世界じゃない。

趣味でやるなら最高だけど、俺は仕事として捉えてる。

プロになる。

 

他にもたくさんあるはずだ。

2.5次元舞台なんてものはすごい。

舞台を見たことがなかった人たちも巻き込んで、大人気になってる。これは絶対に真似した方がいいところがある。

2.5次元舞台をしたいわけじゃない。

 

だけど、今の現状をしっかり見つめて今後どうしていくか、考えていこう。

死ぬほど働いて得られるもの

生涯は仕事だ。

これは覆らない。

楽しいことをしたい!

これも仕事のことだ。

 

人は、誰しも楽して稼ぎたいと心の中で思ってるはず。

楽してって一体なに?

ひたすらに、レーンの上を流れてくる商品に傷がないかチェックする仕事?

仕事内容は本当に簡単で楽だろう。

だが、この仕事は嫌だと思う人は多いはずだ。

暇。眠い。つまらない。だから嫌なはずだ。

 

楽を求めているが、実際は楽しいを求めているはずだ。

 

実際に俺もそう。

今までバイトしか経験をしていないが、

レストラン、和食料理店、工場のレーン作業、エンターテイメントパークのキャスト、アンケート、荷物の荷下ろし、薬局、居酒屋。

 

何かと経験はしてきた。

しんどいけれど続けることが出来るものには共通点がある。

それは人間関係だ。

どの作業もつまらない。ただただ時間が早くすぎねーかなーって思いながらやってた。

でもその中で、唯一救いなのが、バイト仲間と仲良くなって仕事中にたわいもない話をしたりすること。

バイト終わりにご飯に行ったり、カラオケ、ボーリングなど、プライベートな付き合いも出来る人達との出会いだ。

 

それがないバイト先はただただ時間を犠牲にしてお金を稼ぎに行くだけ。

これほどつまらないものはない。

 

今しているバイトはまさに。

ただただ時間を犠牲にしてお金を得ている。

早くこんなバイトやめたい。

そう心では思っているが、やめたところでまた一から仕事を覚えるのが面倒くさい。

 

面倒くさいんだよ!!

 

今の仕事は続けて1年ぐらいになる。

自分の時間の使い方が出来るのがいい。

抜ける時は抜いて、やるときにやる。

周りの状況を見ながら、 サボったりも出来る。

同じ仕事をするなら、こういう時間は絶対必要。

 

超絶真面目になんてやってられない。

本当に店のためになにかしようなんてバイト野郎はいるのかな。

何か成果をあげたら時給が上がるとか、上がってもたかだか100円とかだろうし無意味だよね。

 

でも、続けているのはお金が必要だから。

お金がないと心が荒んでしまう。

人に優しくなれなかったり、行きたいところに行けなかったり、ない時は本当に心に余裕がない。

 

心に余裕をもつために、人はお金を稼ぐのだろう。

貯金なんてまさにそれ。

老後の心配、首を切られた時の心配、支払いが滞らないようにの心配。

貯金がないとそれらの不安で押しつぶされてしまうんだろう。

 

だから、死ぬほど働いて余裕をまず持つことはしてもいいんじゃないかなと思う。

やりたいことがあるなら、やれるだけの余裕が必要。

かつかつになってる時に、人は一攫千金を狙ってギャンブルとかをしてしまうんだろう。

余裕があれば、娯楽。なければ、賭け。

ギャンブルに飲まれる人は普段から余裕がないんだろうな。

 

生涯の仕事として演技をしていきたい。

そのためにも今、お金を稼ぎ、余裕を持って、どうしてやろうかとワクワクしながら、自分のスペックを高めていってやろう。

 

死ぬほど働いてやろう。

死ぬ気でやれよ。死なねーから。

伝えるのが苦手な僕の僕なりの克服方

僕は人一倍自分の考えを伝えるのが苦手だなって常々感じてて、それを克服したいなーとは思っているもののどう克服したらいいのかわからない!!


でも、ずっとそれをどうしたら克服できるかを考えていると少なくとも全く光が見えてこないわけではないんですよね。
僕が今現在感じたそんな自分を変えていけてると思ったものを少し述べていこうと思いますー!
まず、第一に自分はなぜ伝えれないのか。
抽象的すぎてわからないかも知れませんが、これ大事。
ただ、思ってることはいっぱいあるのに恥ずかしくて、嫌われそうで言葉にできない人。
または、頭の中ではなにかが生まれているのにそれを言葉にするとなるとうまくまとめられず言いたいことがなにかわからなくなってしまう人。
僕は後者でございます。
常々、なにか違うなー。のなにかがなんなのかわからない状態でした。
これ、なんでだと思います?
自分には語彙力がない。本を読んでいないから言葉が出てこない。色々あると思いますが、実際僕は、こんなことじゃないと思いました。
ただ、考えるのがめんどくさくて諦めているだけ。
これですよ。
語彙力なんてものはある程度は皆さんありますよね。海外に行って伝えたいのに喋れないみたいなんが語彙力がないってゆうのですよ。
今自分が何を感じているのか。しっかりと自分に問いを投げかけましょう。
もう1人の僕をイメージしてください。
そいつがめちゃくちゃ質問してやればいいんですよ。答えなんて明確な方が少ないんですから、曖昧なものでもいい。しっかり考えてもう1人の僕のWHYに答える努力をしていけばいい。
自分の好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
しっかりと自分を知っていってあげましょう!!

芝居をする上での心得①

○顔

芝居をしている時、お客さんは役者のどこを観ているのだろうか。

演技、雰囲気?そんなのは全体像に過ぎず、細かくしていくと、動いている部分だ。

人は動いているものに目がいく。

テスト中のカンニングしようとしてるやつ。それバレてるぜ?

部屋の中のゴキブリ。急にガサガサすんな。ビビるだろ。

 

とにかく、動いてるものを見てしまう。

目が泳いでるのを見て、この人緊張してるなーとか、手が遊んじゃっててなんだかなーーとか。

 

ということは、お客さんに意識させたい時はそこを動かせばいい。

顔を見て欲しいのに手が動いてたら、足がふらふらしてたら顔を見てもらえない。

 

そして、急に止まる。

変化をつける。動いていた物が急に止まるとさらにそこに視線が向く。

 

例えば告白のシーン。

緊張しながら、好きな子を呼び出して、好きですというだけのシーン。

 

緊張してることをお客さんにはわかって欲しいので。ここはふらふらしててもいいだろう。

そして、告白。

告白するにも順序がある。

 

告白するという緊張→言うぞと決意→言葉を発する→返事を待つ→喜びor悲しみ

 

緊張感を出すには、先ほども言った通りもじもじしたり、目が泳いだり、自分が自分でないようなふらふらした感じを出せばいい。

 

そしてここから決意に移行する。

ピタッと動きを止め、手を握る。

そして顔に意識を持ってきて、相手をじっと見る。動いてはいけない。

ここでもし、唇をなめたりしたら、お客さんの意識は顔に来てるのでそれがすごい目立つ。

あ、唇をなめた。

これが意味のある仕草なら問題はない。決意の印としてとか。ただ、ただの自分の癖でこれが出てしまってたなら注意したほうがいい。

芝居に関係のない感情の表現となり、見てるほうにも告白の緊張感が伝わらない。

 

そして、言葉を放つ。

好きです。と。

この言葉が口から出るまで言おうか言うまいかの葛藤があったかもしれない。

勢いで言ったのかもしれない。

言っている途中にしまった言わなければなよかったけどもう遅いって思ってるかもしれない。

 

それを表現する。

どこに意識を持ってくるか。

お客さんの視線をどこに集めたいのか。

意識を集中した先に視線は集まる。

これは常々意識をしていかなければならない。

 

次の記事は声について、書いていこう。

ボリューム。とか。

 

できるだけのことをやったのか?

自分に問いたい。

できるだけのことをやったのかと。


やってねーだろ。


人間関係を築くってのは簡単じゃない。

受け身で居続けるのは簡単だ。

でも、それじゃ何も生まれない。

待ってるだけで相手が近寄ってくるなんてそれは超有名人とか、超イケメンだけだ。

俺はそのどちらでもないんだから、自分から相手の懐に潜り込まなければいけないのに、何やってんだよ!!俺!!


今日このようなツイートを見ました。


「役者は客を呼んで当たり前」

当たり前ってなに?って反論してる人もいた。

でも、俺が感じたのはあーー、俺って全然本気で自分の芝居の宣伝をしてないなーって。

今回は適度にノルマぐらい来てくれたらいいやって。

適当にラインで詳細送ってもしお時間合えばきてください☆みたいなんふざけ倒してるぜ。


時間ってのは有限で生きてるうちに芝居をできる回数も決まってる。

どんだけ頑張っても一年に20本とかが限界だと思う。


その一本の芝居に対する気持ちが弱かった。

急遽決まったから。火曜日しか本番がないから。ってお客さんをそんなに呼べないってハナから決め込んでた。


それでもやれることはやるべきだし、なんのために芝居をしてるのか今一度考え直さなきゃいけないなと。


芝居で食っていくってのは大変な苦労が伴うことは百も承知のつもりだった。

しかし、現状甘えがあって、まだ時間があると思い込んでた。さっきまでの俺死刑。


とんでもなく自分の芝居を観にきてもらうための努力をしてる人でさえ、売れていないのにこのままで自分が売れるなんて、役者舐めすぎてたな。


連絡先ある人すべてに宣伝をするのが、今の俺のできることだし、会う人みんなに芝居の宣伝をするのもできることだし、どういう風に伝えればきてくれるかなって常に考えるのもできることだし、今の自分でもできることは山ほどある。


ほんの少しのきっかけを掴めるか否か。

出会いは一度きり。その出会いをなかったものにするか次に繋がるものにするか。


これからは、演劇関係者はもちろん、出会う人には連絡先を聞いて少しでもお芝居に興味を持ってもらって自分の芝居を観にきてもらえるように行動していこう。


昨日までできてなかったことを今日から出来るように。一歩ずつ前へ前へ。