まいすぴんらいふ

これは僕が生きてきた証である。

革命

舞台で誰もがやったことのないこと。

いや、舞台で自分がやりたいことが誰もやったことのないことなら最高だ。

 

惑星ピスタチオのパワーマイム。カメラワーク。舞台上には一切のセットもない空間で人間だけで魅せる芝居。

 

当時はとてつもなく、痺れただろーなー。

当たり前を覆して、さらに想像の遥か上を行ったんだから。

 

現代において、面白いと言われる芝居には華やかな衣装、舞台セット、殺陣、音楽などがある。

 

まさにこれはテレビでは味わうことの出来ない非現実的な空間を創っていると思う。

 

がしかし、演劇全体を見れば普通。

ありふれているのだ。

 

コメディも。会話劇も。

なんなら、会話劇ってのはテレビで見た方がいいかもしれない。

舞台ってのは、その場所しかないわけだから、拘束されて作らなければならない。

 

それがいいのかもしれない。

けど、世の中をびっくりさせてやろうとするには物足りない。

 

あーー、面白かった!

で終わる。その人の心の中に衝撃的な何かをぶち込んでやらないと。

 

何かとは何か。

人は想像し、それを実現することで栄えてきた。

人の想像は無限大だ。

子供の頃は空だって飛べると思ってた。

水の上だって走れると思ってた。

だから憧れた。

テレビの中のヒーローたちに。

 

いまはどうだ?

出来ないことばっかり先に言って、出来そうな中からやることを選んでいないか?

 

まずは想像しよう。無理だって言われても構わない。しようとする努力が大切なんだ。

 

舞台という場所。

舞台上でしか演じることの出来ない空間。

そう思うことが間違っているのかもしれない。

 

一つじゃない。無限大なのかもしれない。

 

キャラは1人一役だという縛りも覆していく。

人数が足りないから出来ないという言い訳はもう出来ない。

 

自分の表現したいことの先に世界を変えることのできる何かがあることを信じて。

 

この世で唯一の役者になるために

頭の中を整理するために書く。

 

教えてもらうということは教えてもらった人を超えられないということ。

 

会社でいう、平社員。

上司に言われたことしかできない人はそこまでの人。

 

起業をし、トップクラスで走ってる人は0から1を作った人なのでは?

 

ゆわれたことを思い出そうとしても、いつも思い出せない。それはその時にちゃんと聞いていなかったからか?

それとも、自分ならこうするのにということを考えれてなかったからか?

 

ゆわれた通りに全部ちゃんとやる必要はなくて、そこから自分に必要なものを選りすぐり吸収していかなくてはならないのでは?

 

芯となる、ぶれないものってのは自分で作り上げていかなければならない。

人に形成されててはいつまでたってもその人の劣化版でしかない。

 

基礎となることはしっかりと教えてもらう必要はある。

しかし、その先は自分次第。

 

尊敬する方の教えは自分の考えを広げるきっかけに過ぎない。

それが全てじゃない。

そこから新しい考えを広げていくのが己という人間。

人それぞれ、きっかけは同じでもその先の考えは違ってくる。それが個性であり、オリジナリティ。

自分の考えを広げることをやめたとき、俺の物語は終結する。

 

役者の価値。今はゼロ。

時給1000円。

1日8時間働いて、8000円。

月は大体30日ある。

週休2日で働いて約21日。

8000円×21=16万8000円。

 

そこから保険代やらなんやら引かれて13万ちょっと。

 

バイトの限界やね。

さらにここから夜勤を週1日入れたとする。

夜勤の日当が18-6時で12000円。

12000円×4=48000円

 

13万5000+48000=18万3000円

 

18万3000円×12=219万6000円。

どんだけ体を酷使しても、ワーキングプア

 

ちなみに、演劇をしているので一週間フルで入れることも少ない。

 

これはただただフリーターで生きていくためだけに働いたらってゆう計算。

 

バイトなので、時給は上がらない。

時給の高いバイトを探したとしても所詮は1500円ほど。

400万稼ごうと思ったらバイトじゃ絶対無理なんだな。

 

400万÷12ヶ月=33万33....

33万÷20日勤務=1万6500円

 

1日1万6500円稼げれば、やっと400万。

 

時給にすれば倍やね。2000円。

 

そう。今の自分の価値は時給1000円の価値しかなくて、それはただただ店で使い回される駒でしかないから。

だれでも代用のきく人の値段。

時給1000円。

 

バイトで俺がおらな困るからなー。なんてゆう人がいるかもしれないけど、困るのは一瞬。代用の人間が見つかるまででしかない。

 

永遠にフリーターを続けていれば、自分の価値は変わらないだろう。いろんな職を転々としようが変わらない。求められているのはマニュアル通りの仕事をこなす力があるかどうかだけだ。

それ以上なんて求めてない。

 

そんな仕事にやる気を見出せるのか?

その仕事の内容が自分の夢を叶えるために必要な道なのか?

もっと考えたほうがいい。

時間は有限だ。たかだか1000円を稼ぐために1時間という貴重な時間をロスしていく人生。

 

自分の価値を上げるにはどうすればいいのか。

まずは1000円以上の人間になりたい。

 

人の価値はその人を求める人の数だと、武井壮は言った。

まさしくその通りだと思った。

 

世の中のお金持ちはみな、人に必要とされている。もしくは必要とされるものを作った人ばかりだ。

 

役者という仕事は、生きていく上で別に必要なものではない。

テレビを見るとか、舞台にいくとか、娯楽の延長線にある仕事だとおもう。

 

だからこそ、難しく、人に必要とされるためにはどうすればいいのかを考えていかねばならない。

 

今現在役者としての給料は0だ。

時給1000円の価値すらない。

それをまずは1円にすることに全力を尽くさないといけない。

 

人の心に、人の感情に、人の人生に、僕の舞台を見て、なんでもいい。なにかを感じて、その人のこれからが素晴らしいものになっていくきっかけを作れる役者になりたいな。

 

意識をどう持って挑むのか

どうも、なんとなくでわかったつもりにならないことを目標に頭の中を整理して、さらに人に伝えていけるそんな人になることを目標にしていこうと決めた僕です。

 

なので、日々の学びはしっかりと文章に残していきたいと考えているんだぜ。

 

今日は昨日見た舞台映像の続きを見た。

 

とても見入ってしまった。さらには涙まで流してしまった。これは何故なのか?

 

芝居を見るときに考えてしまうこと。

役者の演技力、それがなかった。

いちいちそこに感覚を持って行かれなかった。

作品に集中していたのだ。

 

それは何故なのか?

 

第一にやはり、役者のセリフの明瞭さ。

そして、削ぎ落とし。

無駄な部分の削ぎ落とし。

取って付けたようなキャラ作りのための言い回しや、動きなどは不必要だと感じた。

必要なのは、どう観客をこの世界に引き込むか。

そのためには、聞いてほしいセリフ。シーン。どこにお客さんの目を持ってくるのかを考えなければならないし、その持ってきたところをどう集中させて見せるか考えなければならない。

 

話しているときに顔がぶれないとか、そういう基本的なことになってくるんだなと。

 

笑顔を見せたいなら、その笑顔になるまでの間を大切にしたり、メリハリをつけるところ。

感情が上がってくるところ。

しっかり意識しないといけない。

 

ただただがむしゃらにやってた今までとは変わって行かなければならない。

 

一重に演じるといってもそのときには膨大な量の情報操作をしながら演じているのが役者である。

 

照明のきっかけ。音響のきっかけ。セリフの間。光の当たり具合。お客さんの反応。目線。

お客さんがどこを向いているのか。などなど。

 

自分の心のことももちろんわかっていなければならない。

 

そして、いまだ舞台に立ったことのないニューフェイスの新人の子に言っていた言葉。

 

まだ、芝居を初めて2年とちょっと僕もしっかりと聞いておかなければならないこと。

 

技術なんてものはどうにもならない。センスがある人もいるし、長年やっている人もいる。

その中でどうやって勝っていくか。いや、役者としてやっていくのか。

 

今の自分にしか出せないものをだす。

今の自分だからこそ出せるものをだす。

今の自分の、その若い経験を、今感じているその思いを。だす。

それは一体なんなのか?

そこに見ている人が惹かれるものがある。

そこを磨いていく。

それはどうするば出せるのか?

 

ただなんとなくやっててもダメだろう。

初読みで感じたことを忘れずにしておく。

そして、対話で生まれるその一瞬を大切にする。

自分のイメージだけで作るのではなく、周りの人たちと作っていく。そういうことが大切なんじゃなかろうか。

 

 

あと、こんなことも。

芝居を作っていく上で、現実的な話を先にしてはいけない。理想を語り尽くしてからが芝居を作りだと。

お金がないから、技術がないから、初心者だから、と言ってできないことばかりを初めに出してしまうのはとてももったいない。

せっかくまだなにも決まっていないのに、無理なことを決めて枠を狭めてどうする?

 

なんだってできる可能性があるのに。

 

なので、芝居を作る上ではとことん理想を語っていきたいと思う。

 

 

セリフ覚え。

初めのうちは台本全てのセリフを覚えてもいいくらい。

自分だけのセリフじゃなく、人のセリフも覚える。

何故なのか?

自分で覚えた人のセリフはもちろん、他人が言う。

その時に発見がある。

自分のイメージとその人のイメージが違うので言い方、放ち方、が違ってくる。

その違いを感じることができる。

 

学びの場が増える。

やって損はないし、やったほうが伸びるスピードが速くなるなと思った。

 

次からは、お客さんの心をどうすれば動かしながら芝居ができるか。

ぶれない顔。

お客さんの目線はどこにあるのか?を意識しながら稽古していきたいと思う。

 

舞台を見て感じたこと、役者のあり方。

芝居。

する側、見る側。

 

見る側として感じたこと。

気になること、演技。

聞こえづらいセリフ。一つでも、聞き取りづらいセリフがあるとその世界に入れない。

これは、芝居をする上での最低ラインだと思う。聞き取りやすいセリフの言い方。

がならない、早口になりすぎない。感情を込める以前の問題。

 

動き、見ている人が見やすい配置。位置取り。

細かい動きがたくさんあると気になる。

一つのセリフに一つの動きぐらいがちょうどいいのかもしれない。

セリフを放つときは顔も体も揺れることなく、ピタッと止まっていること。

 

セリフを言っている人の周りの反応。

どちらかだと思う。話す人だけが動いている。

話す人だけがばっちり止まっている。

雑踏の中で立ち止まると目立つ。

みんなが止まっている中で動き出すと目立つ。

 

役者として舞台に立つ側として考えなければいけないこと。

お客さんを常に物語に引っ張り続けなければならない。

そのためには?

お客さんにハテナを生みつづける。つまりは興味。

興味を引っ張り続けるには?

役それぞれにはセリフがある。

そのセリフの中で興味を引くことができるものが必ずある。

それを役者自身わかっていなければいけないし、それをどうゆうふうに放っていくかを考えなければならない。

ただただ、役のキャラ作りのための奇声や、話し方ではなく、なぜそういうキャラになったのかを明確に持って、なぜその言い方をするのかを明確に持ってやっていかなければならない。

 

役者は表現をする人だ。だが、それは自分が目立ちたい、すごいと思われたいとかそういうのじゃダメだ。

表現をするのはあくまでお客さんの心を動かすためだ。

動くのは役者の心じゃない、お客さんの心だ。

難しいなーー、

 

役者は物語の結末を知っている。

知っているが故にその方向へ行ってはならない。

本来はその方向に行くことすら知らないわけで、その世界の人間たちはそんなことが起こることも知らないわけで。

 

その先を想像するのはお客さんで。

お客さんの想像の先と、その世界の人間の想像の先とは違うわけで。

 

最悪な結末があったとする。

その最悪な結末を役者は知っているが、その物語の人たちは最悪な結末に自分から向かっているわけではない。

むしろ、希望を持って最高の結末を迎えるために生きて行く。

お客さんは物語が進むにつれ、最悪な結末を迎えるんじゃないかとゆうことを考え出す。

しかし、物語の人たちは最後まで最高の結末を迎えるために生きる。

そこに役者の最悪の結末を知っているが故の最悪な結末の悲しさとかはいらない。

 

お客さんの想像のベクトルと、役者(物語の人たち)のベクトルは違う方向へ進めば進むほど、最後にドカンとお客さんの胸に爆弾を放つことができるってこと。

 

んー、わかるかな?

 

そして、人が惹きつけられるもの。

それは心と表現の温度差であると学んだ。

 

悲しいときに笑っていれば

なんでこの人は笑っているのになにか違和感があるんだろうと、気になる。

 

心の温度差を人は察知する力が長けている。

普段の生活からそういうことをしているからだ。

なんでだろう?を産めばそのキャラに興味を抱いてくれる。

そうすると、そのキャラが輝きだす。

見かけ上のキャラじゃなく。本当の魅力ってやつ。

 

 

稽古だからこそできることを忘れちゃいけない

芝居の稽古って、劇団それぞれだし、色々な稽古の仕方があると思う。

 

ま、俺はそんな色々を知らないんだけど。

 

ただ、一つ。

稽古なんだから、毎回毎回いろんなことに挑戦はしていかなきゃいけない。

 

セリフ一つにしても、言い方なんて無数に存在するし、立ち回り。動きも組み合わせたらいくらでもできる。

その中で自分のイメージとそれを見た人のイメージが果たして同じなのか?とか考えながらやらなければいけないと思う。

 

やっぱり、役者って言うのは表現力のプロを目指すべきだし、だからこそこういう風に見せたいならこういう風にするってのがちゃんと明確にできなければならない。

 

同じシーンを何度も稽古する時があるとする。

1度目と2度目は絶対に同じじゃいけない。

ガラッと変えてみなければいけない。

じゃないと、あー最初の演技でこの人は出来てると思ってるんだなーと演出家に思われる。

 

自分の演技が変われば相手の演技も変わってくるかもしれない。

まだ、未知数ののびしろを始めで潰してしまうのは本当にもったいないことだと思う。

 

だからこそ、毎回毎回挑戦するべき。

ちょろっと変えたくらいじゃ、何も変わらない。

稽古ってのは何をしてもいいんだぜ?

正解なんてないんだよ。

自分のイメージが100%相手に伝わることなんてないし、捉え方は人それぞれなんだから、あ、こういう風にすればこういう風に見えてるのかってのを一つずつ見つけていって、演技の幅を広げることも役者には必要だと思う。

 

気をつけろ。ツケはつけるだけ後で絶対帰ってくんだ。

何か本を読んで、触発されやる気になったりしたことは誰しもあるだろう。

こんな人になりたい。こんな人の考え方最高だ。そう思ってやる気があがる。

人生において、何かができる気がしてくる。

 

”そん時だけだ”

 

そん時だけなんだよ!

その思い。その思いが何ヶ月も持続するやつなんていない。そう言い切る。今回は。

 

せいぜい一週間。

そしてまた元通り。

何も変わらない。変わろうとしていない。

本気で変わるやつは、そんな本なんかでいちいち触発されない。やってるんだよ。もともと。

 

むしろ、そういうのを発信してるんだよ。

 

あー、なかなか人生ってのは甘くないもんで、傍目から見ればやりたいことやってる人も実際は全然満足してなかったりする。

 

今まで散々遊んできた。サボってきた。何もしてこなかった。俺はいつか必ずできるやつになるだろうって考えてたからなあー。

そんなこんなでもう24歳だ。

就職もしていない。実家暮らし、日々支払いに追われ、楽しいふりをし、やめなければこの生活が変わらないとわかっていることもやめられないやつだ。

 

親にも未だに迷惑をかけ続けている。

言葉では早く親孝行したいなんて言うけど、実際、行動しているのか?と聞かれれば何もしていない。

 

ここでなにかを宣言したとしても、一週間後にはまた元の俺に戻ってるんだろーな。

どうしたらいい。

誰か教えてくれ。

この状況を打破するにはどうしたらいい!!!!

 

環境を変える。

人付き合いを変える。

使う時間を変える。

 

もう、強制的に変えるしかない。

自分の思い通りにならないくらい。自分の自由な時間がなくなるくらいに。

 

そうして初めて俺は変われるんだと思う。

今まで変われていないやつが変わるってことはそれだけ覚悟がいるってことだ。

 

だからこそ、やる気があがるその瞬間に全てをやってしまわなければいけない。

気持ちが上がったままで終わってはいけない。

 

この先、何のツケもつけず、逆に多く払っていくべきだ。

 

変われない俺!!

しっかりしろよ。

何してんだよ?え?毎日毎日、しんどいことから逃げてんじゃねーよ。もっとやれるだろ?今のままじゃ何年後もずっと同じこと考えることになんぞ!

とりあえず、やめることを一つ。心に決めこれを守り抜いていく。って書いてるその時からもうやめない方向のことを考えてる。あーーー!!!